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御菓子司 鶴屋 堤 光昌さん
2007年05月31日

御菓子司 鶴屋
14代 堤 光昌さん
ささやかな日常の中の贅沢-お菓子。 大隈重信侯も愛した味をどうぞ!
お菓子の王国・佐賀。その中で代表的な菓子といえば、やはり丸ぼうろだ。今でこそ、佐賀の銘菓としてどの店でも取扱われ、知名度も高いが、この丸ぼうろを日本で初めて作った"元祖"が佐賀市内に存在する。それが創業370年「御菓子司 鶴屋」さんだ。
寛永16年(1639年)徳川三代将軍家光公のころ、佐賀・鍋島藩36万石の城下町に創業。佐賀藩から御用御菓子司を仰せつかり、歴史は流れ、現在では最後の鍋島藩主と同じ14代目が、伝統を守りつつ、常に新しいお菓子づくりにチャレンジ中だ。かの佐賀の七賢人の一人で幕末維新期のヒーロー、大隈重信侯も愛したという、鶴屋の味。話を伺った。
Q・日本で丸ぼうろを初めて作られたのが「鶴屋」さんだとか?
A・二代目の太兵衛が、わざわざ長崎街道を下って、出島まで新しいお菓子づくりを学びに行ったんですね。そこで出合ったのが、オランダの丸ぼうろ。太兵衛はオランダ語もわかりませんでしたが、情熱とプライドは人一倍持っていた人のようです。そこで、オランダ人に頼み込んで丸ぼうろの作り方を学び、佐賀へ持ち帰ったと聞いています。
Q・太兵衛さんは、佐賀では丸ぼうろのパイオニアなんですね。
A・そうですね。彼が丸ぼうろの作り方を佐賀に持ち帰らなかったら、丸ぼうろ作りの歴史の始まりはもう少し遅くなっていたかもしれません。当時は、特許などなかったものですから、他のお菓子屋さんもすぐに丸ぼうろ作りに着手したようで…ちょっと考えるとズルいですね(笑)。
Q・初代のころは、佐賀藩から御用御菓子司を仰せつかっていたそうですね。
A・そのころは、お菓子屋さんもほとんどなかったですからね。それどころか、一般庶民には砂糖は手に入らず、お菓子は贅沢品というより珍しいものでした。当時は、そんな理由から「御用屋」と呼ばれていたんですよ。
Q・長い歴史と共に歩まれてきたんですね。さぞいろいろとエピソードがあるでしょう。
A・伝統を守りながら、新しいもの作りにチャレンジして参りました。戦時中は、砂糖の配給が少なく、職人も戦争にかりだされたり…と紆余曲折がありながら、細々と営業を続け、戦後はいち早く洋菓子づくりに取り組みました。職人たちを東京にある洋菓子屋さんに派遣して、貪欲にお菓子作りにいそしんできましたね。私共の後に創業した、老舗である北島さんや村岡屋さん…、その他にも明治、大正時代はたくさんお菓子処が軒を連ねていたんですよ。しかし、戦争の影がしのびよってきた昭和初期でお菓子処はだいぶん消え、その後淘汰され、昭和40年代にはほとんどなくなってしまいました。お菓子の世界というのはそこまで厳しいんですよ。
Q・お菓子作りの職人さんが育たない、という理由もあるんでしょうか?
A・最近では、職人が少なくなりました。私共のところでは3人でやっていますので、伝統の味を守るので、現在は精一杯。新しいお菓子作りにチャレンジするには、まだ時間がかかりますが、新しい風や刺激、お客さまの声などを職人たちには毎日伝えるように努力はしています。店に出せる丸ぼうろを作れるようになるまで、5年はかかります。毎日失敗ばかりで、1割近くロスが出ることもありますが、料理の世界と一緒で、"残ったもの=失敗にヒントがある"と教えています。職人の世界は狭く、昔はスポーツの世界と同じで下が上がってきたら、上は危機意識を持つ、という修業的世界で、根性のある人しかできない職業でした。今現在では、逆にベテランが新人に手取り足取り教えてあげる、という世界ですね。でも、プライドと謙虚さだけは強く持っていますので、職人気質は健在です。
Q・かの大隈重信侯も「鶴屋」さんの丸ぼうろをごひいきにされたそうですね。
A・1896年(明治29年)、大隈侯が総理大臣2度目の就任時、母・三井子さんの一周忌に帰佐した折、茶菓として献上されたんです。「ほかに類例少なき風味」とその味に大変感動されたと聞いています。また東京に戻った大隈侯が、丸ぼうろの味を懐かしんでいると聞き、「鶴屋」11代目の善吉は職人を伴い上京。大隈侯の邸内でかまを焚き、作った丸ぼうろを献上しました。その流れかと想像しますが、大正15年(1926年)、宮内省から御菓子御用達を命じられているんですよ。
Q・「鶴屋」さんの伝統の丸ぼうろの味は、他の御菓子処とどう違いがあるんですか?
A・お客様の言葉によると、独特のやわらかさと風味があるということだそうですが…。牛乳と水は一切入れていません。二代目太兵衛の時代から、作り方は一切変わっていないんですよ。今あるカステラ、丸ぼうろはオランダのものをアレンジしたもの。まだ丸ぼうろはカステラのように全国区ではありません。だからこそ、逆に「佐賀でなきゃ食べられない」存在にしていきたいですね。
Q・「鶴屋」さんの今後の展開予定を教えてください。
A・あんこをベースにした創作菓子を作っていきたいですね。現代人に合わせて、今あるものをマイナーチェンジしたり…、そして職人を増やして、中身をより充実させたいです。女性スタッフに企画から参加させようかとも考えています。やはり、お菓子といえば女性の味覚は大きな力になりますからね。またネットでの展開は、まず、買ってくださる中高年のお客様が簡単にパソコンからアプローチできるように改善すること。楽に買えるんですよ、とアピールしていきたいですね。
Q・では最後に、「鶴屋」さんにとって、御菓子とは…?
A・"ささやかな日常の中の贅沢"ですね。好きな器に盛って、お茶と共に時間と空間を楽しむ…毎日頑張っている自分をちょっと休ませて、癒してあげる。そんな存在だと思っていますし、信じています。

城下町を思い起こさせるような、門構えが印象的な外観

カステラの切り売りもしている。これからの季節はくずまんじゅうやわらび餅など、水菓子が人気

佐賀藩の「御用屋」だったことがわかる、木桶ぶたがさりげなく飾られている

歴史を感じさせるタンスなど、店内には時代物がオブジェとしてセンスよく並べられている

「鶴屋」さんに行くためには、必ず通らなければならない鳥居。真っ黒で、近くに神社もない…!?その存在は謎だそう。誰か知っている人はいませんか…?
投稿者 さがファン : 2007年05月31日 19:55
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