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佐賀人と唐津人 その2
2005年07月14日
最近のんびりしつつ、体調も復活してきたので、こんなお恥ずかしいことも福岡・天神のド真ん中でヤリマシタ。
↓●ついに明日早朝、博多祗園山笠本番。昨日天神・中洲はふんどし一丁の男衆だらけ。大丸百貨店のエルガーラ広場に、こんな飾り山があったのでビックリ。初めてではなかろうか?この写真を撮ってくれた、お取引先氏によると「だんだん、山笠も観光客向けになってきてるんじゃない?」ということだった。飾り山は年々増えてて、今年は17つ。それも、明日本番日に全部壊される…っていうのもスゴい。

そうしてたら今日になって、急に忙しくなり、またお昼ごはんを食べる時間がアリマセンデシタ。
フリーライターなる者の宿命ではあるが、さきほどヨレヨレと近所のファミリーマートに行ったら、「佐世保バーガー今日から発売!!」と手書きポスターが窓に貼ってあった。最近、最近佐世保バーガーがテレビや新聞で宣伝に力を入れているのは知っていたが、ローソンの「からつバーガー」に真っ向勝負を挑むのであろうか。ハイ、からつ。唐津の話をずっと書きたくて、ここまで引っ張ってシマイマシタ。
佐賀と唐津が、同じ佐賀県でもどうして違うのか。150年あまり前まで違う国だったというのもあるけど、“肌”で感じる違いは、どうもここにあったようだ→「佐賀ときめき大学 足跡を訪ねて・唐津城」参照(このコラムはbyワタシ)。
以前ここで、「佐賀人と唐津人 その1」を書いた時、「佐賀藩・鍋島氏36万石支配外の唐津人は、お殿様(お上)を仰ぐ気質がなく、独立的な性質だったのではないか~等」というコメントをいただいたのだが…。佐賀・鍋島藩が1つの国だとしたら、唐津・唐津藩は全国あちこちの大名がやってきては、変わって、の繰り返し。関西、関東、東海、東北…国が計6つは変わっているのだ(歴史用語で「国替え」という)。佐賀藩で、名君10代藩主・鍋島直正が鍋島氏でピークを迎えた幕末維新時には、唐津藩ではごちゃごちゃあって、東北出身のお殿様が亡くなって、成人した長野県の養子が後継ぎになるなど、とんでもないことになっている。
この根無し草大国!?唐津藩。佐賀・鍋島藩と違って、江戸幕府直轄だったから仕方ないといっても、なんとなく、現代の転勤族のような一抹の寂しさ、そして混乱を感じた。東京本社で就職して、あちこちの支店長になるのに近いものがあったんじゃなかろうか…などと考える。
自分のこといわば、「モリさん、ご出身は?」と聞かれたら、ただし書きが左記のプロフィルのようにもれなくついてくる。でももう福岡に住んで約20年。あの「佐賀県」を歌ったはなわさんは、佐賀に来たのは小学生だったというのだから(はなわさんは生まれは埼玉県。弟さんは千葉県)、 “出身”なんて、“ふるさと”なんて、どうにでも言えるワイな。。。特に年をとれば。ただ、多分、ワタシの一見、開放的な性格は、転勤族だった影響がかなり強いとは思っている。フリーライターという職業も、それだからやれてるのかな、と思ったりもする。
しかしながら、自分の根底にある閉鎖性や保守性は、佐賀に通じるものがあると“肌”では感じている。で、結局、唐津藩に話を戻すと…オモシロイですよ。本当に。佐賀と気質も違けりゃ、言葉も違う。そりゃそうでしょうよ。「でもみんなおんなじ日本やろ~。なんで、そんな深く考えるん?」とは、同じ境遇をたどり、昨年、福岡市内に嫁いだ姉談。
シゴト、シゴト。こだわりがあるからこそ、オモシロイ。最近、佐賀から「福岡に戻る」という言い方をするようになってきました。以前は「家に帰る」とかだったような気がする。
今のところ、ワタシはまだ、さが“ファン”なのだろう。
投稿者 mori : 2005年07月14日 18:59
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