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佐賀の百賢人について

 2005年06月06日

 本日は、ネットサイト上で佐賀について学ぶという、「佐賀ときめき大学」という大学のサイトのコラム原稿を、こもって書いていた。ネットサイト上での大学というが、普通の大学のように4年の修学期間がある。そして、年度が始まる時には、スクーリングといって佐賀の地に全国から受講生が集まり、実際に講師の講演を聞き、年次のテーマに沿った体験ツアーをして、受講生同士交流をする。それ以外の362日は、ネット上で学ぶというわけだ。いわば、通信教育のようなものといおうか。こちらは現在、最終の4年次の半ばを過ぎたところ。テーマは「幕末・維新期の佐賀」。
 私は3年次から、この仕事に参加させていただいており、スクーリングにて実際、全国の受講生のみなさんとお会いしたこともあるのだが、ほんと、みなさん「さがファン」。佐賀の大きな魅力のひとつに、“歴史”がある。昨年夏には佐賀城本丸歴史館がオープンし、NHK大河ドラマ「新撰組!」の影響もあって、幕末・維新期はにわかにブームとなった。昔から、歴史好き、幕末好きの私としては願ったりの仕事ではあったが、二重鎖国の制度をずっと保ってきた、佐賀・鍋島藩のことは、実は全然知らなかった。「薩長土肥」の“肥”。勉強も、まだまだ足りない。しかし、この仕事に携わって9カ月だか、そこに“佐賀県人”とはなんなのか、ということが少しづつ分かり始めてきた(だがまだ語れない~~)。
 佐賀には近代日本の礎を築いた“賢人”たちがたくさんいる。佐賀城本丸歴史館がこの佐賀の賢人100人をピックアップしているそうだ。さて、どんなラインナップとなるのだろう。おおやけでは“七賢人”という人物がよく知られている。名君・10代藩主鍋島直正、希代の大政治家・大隈重信、佐賀戦争で非情の死を遂げた江藤新平、札幌の父とも呼ばれる島義勇(しまよしたけ)、名外交官で書家としても名高い副島種臣(そえじまたねおみ)、東京遷都論を掲げ、東京府知事ともなった大木喬任(おおきたかとう)、そしてもう一人、日本赤十字の生みの親・佐野常民(さのつねたみ)。
 折りしも、先週NHKの人気ドキュメンタリー番組「その時、歴史は動いた」でこの佐野常民が特集されていた。医者でもあり、武士(藩士)でもあり、官僚でもあり、政治家でもあり、スカウトマンでもあり、技術者でもあり…、そして、日本に“博愛精神”を執念と熱意で根付かせた人間だが、あらためてこの御方の“志”は素晴らしい、を超えて、スゴいと思った。100余年経っても全国区、いや世界区(区!?)
 昨年、彼の出身である川副町(かわそえまち・佐賀市内から車で20分ほどの有明海近く、佐賀空港も近い)に「佐野常民記念館」がオープンした。立派な施設で、資料もかなり豊富。センスもよろし。しかも、町内の子どもたちがボランティアで館内を案内してくれる。私は仕事で2回ほど行ったのだが、彼の博愛精神に触れたのか、観終わった後、心がホンワ~と温かくなった。ホントです。幕末時、三重津海軍所が存在した、早津江川沿いにあるのだが、この川も一体どこまで続くんだよ、っていうぐらいどっか~んと広がっている。ぜひ、一度は観にいってみていただければ、と思う。天気のいい日は、福岡の大川市まで見渡せる。
 “博愛”―それを仁という、“仁”とは人を慈しむこと―。子どもができたら、この施設には絶対通わせるな。いやぁ、佐賀出身の素晴らしい人材については、なかなかひとことでは語れない。って、これも長文、失敬。今週は半ばから、再び佐賀県内を車で縦断取材だ。食べるぞ~。

投稿者 mori : 2005年06月06日 17:41

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