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2006年10月30日
ミスキャスト
竹中ミルヒーは自分的には、ありなんですよ。
原作とドラマや映画やアニメとは、別もんなんだから、楽しめばいいじゃんというスタンスなんですよね。
ここんところは、有名ラーメン店の名前を冠したカップ麺が販売され、まるっきりお店の味と違っていても、旨く食えればいいよなという感覚と似ている。過去に、いくらなんでもコレはないだろうという某有名店のむかし系カップラーメンも例外的にあったりしたけど・・・・。
そんなカンカクの私でも拒絶反応がおきたのは、美咲響子さん。
なんだろうねー、これだけは許せません。理論も詭弁も思いつく間もなく直感的に。
そういやー、ぢつは、出来の悪い博多・長浜ラーメンへの想いも、その許せさな具合にも通じたりする。
散々旨く感じて、食い倒しているけど、深層心理の奥底に澱のように積もる不信感があるんですよ、博多・長浜に。
替え玉って、麺の水分が丼内に足されて出汁が薄く不味くなるから、テーブルに元ダレとかあるんだよね、ホンマ。つーか、デフォではそれを予想して元ダレきつすぎるんで、その後半日は喉がカラカラなったりするし。それに辛子高菜って、なんなんだよ一体。そんなん食ってたら、出汁の旨みもクソも一緒じゃんかよ。バリ硬・ハリガネって、一体全体どこの国の語彙なんだよ、まったく。
どうして、一丼入魂のラーメンを楽しむという発想にならないの。出されたスープと麺の融合が完成品のラーメンだろうに、客がアレンジ加えたらまずいっすよ、ホンマ。
久留米・北九州・佐賀の古くからのラーメン店が、飛びぬけていなくても「そこそこ」食えるのは、そんなことにあがなう、見落としがちなコアな原点があるんじぁないんだろうか。(この際、魔法の白い粉の存在は不問にしとこう、形勢不利になりそうなんでw)
と、なんやかんや能書き垂れても、「のりのりまつり」なんてキャッチコピーをテレビで聞いたら、いそいそとほっかほっか亭に230円の「のり弁」買いに行くほど、「残りの人生で、食い物が一品のみと限定されたら、のり弁を選ぶかなぁ、やっぱ」な私なんで、あんまり説得力はない。つーか、酔いにマカセタ言葉遊びのエントリーでしたよ、コレ。多分。
読んだ刹那に忘れてください。
投稿者 imagine : 2006年10月30日 23:41
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