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2005年09月17日
佐賀スタイルは滋味哀愁系
てなわけで、「佐賀ブログ」の始まりです。
佐賀のラーメンについての日記やblogをシコシコと書いてきたワタクシですが、どーも飽きてきたもので路線変更です。
まっ、PRIDEの高田統括本部長がハッスルの高田総裁に変身するようなものである。(違うか?)
と言いつつ、ファースト・エントリーの今回は、いままでの私の「ネット活動」を振り返りつつ、佐賀ラーメン、ひいては佐賀の魅力を語ろうかなと思い至っている次第である。
決して、過去のテキストの使い回しではありません。(多分・・・)
佐賀で初めてのラーメン店は、昭和28年に佐賀市呉服元町(?)に開店した、「北京千両」とされています。
「北京千両」はその後、現在の南国ビル@佐賀市大財町の西側の水路沿いに移転し、さらに現在は、巨勢町にて「シャローム」と屋号を変えて営業されています。
九州で初めてのラーメン店は、久留米の「南京千両」という屋台でしたが、「北京千両」の開店以前に、佐賀市内には久留米から来る屋台のラーメン店があったようです。
日本陸軍の「南京占領」をもじって命名されたと言う「南京千両」を、さらにもじった「北京千両」という屋号は、ちと微妙な心持ちにさせられます。
ちなみに、ラジオパーソナリティー「ヒーマン」さん の、つれあいさんの実家であるラーメン店「北京ラーメン@大和町」とは、無関係のようです。
昭和30年には一休軒本店が開業しています。
どうやら一休軒の手本となったのは、白濁豚骨スープの発祥店とされている「久留米の三九」らしいのですが、「三九」の創業者の杉野兄弟の弟さんとその杉野兄弟から三九の営業権の譲渡を受けた四ケ所さんが、相次いで昭和31年に佐賀市内にラーメン店を開業されています。
杉野弟さんのお店は「三九軒」という屋号でした。(柳柳亭の近くでしたが、平成13年に閉店しています)
四ケ所さんのお店は、「三九中華そば専門店」で、現在も玉屋西で営業されています。
四ケ所さんは、「三九」を引き継ぎつつ、熊本県玉名に支店を開き営業されたようです。
その味が、あっという間に熊本・宮崎・大分に伝播し、「白濁豚骨」が九州ラーメンのデフォルトとなったのです。
それに、出前の時に丼にビニールを被せ輪ゴムで留めるというアイデアも四ケ所さんの発案らしく、まさに、四ケ所さんの人生そのものが、「白濁豚骨ラーメン」の歴史そのものだと言えそうです。
福岡のラーメン、長崎のちゃんぽんに対抗しようと、「冷し麺キャンペーン」なるものが佐賀市のお店を中心として、昨年から展開されています。
佐賀の食材を活かし、従来の「冷し中華」にこだわらず、中華やフレンチのテイストをハイブリッドさせ、二大麺王国に伍しようという意図なのでしょう。
それはそれで、素晴らしい「戦略」なのですが、どーも何かひっかかるものがあるのも事実。
以前、「佐賀を探そう」という観光キャンペーン用のコピーがありましたが、必死に探し当てようと努力しなくても佐賀には、昔から脈々と生き続ける「良さ」があるのです。
そう、ふと立ち止まり、「気付き」さえすればいいのです。
一休軒系や古くからの佐賀のラーメン店のラーメンは、概してファーストインパクトは弱いようです。しかしながら食べ進むほどに、じんわりと豚骨の出汁の旨みが体内に浸潤していく様は、博多・長浜ラーメンのどちらかと言えば、醤油系の元ダレの味を大きく感じるラーメンに劣ることは決してないと確信させてくれます。
中細のストレート麺が軟目に麺揚げされる佐賀ラーメンの傾向は、「バリ硬」や「針金」と呼ばれ、もてはやされる長浜ラーメンなどの極細麺との対比からも、哀愁度ワンランクアップです。(笑)
「滋味哀愁系」と、私は勝手に呼んでいますが、シンプルなのに奥深く、古いのに飽きを感じさせることのない佐賀ラーメンの持ち味は、ラーメンのカテゴリーを超えて、マクロな「佐賀の顔」と言えるでしょう。
佐賀のラーメン店は、昔ながらの「軒」の屋号を持つ店が他地域に比べ多いようです。
経済的には小さなマーケットゆえに、チェーン店等の外部資本に淘汰されてしまう確率も低かったのかもしれません。
が、それゆえに昔ながらのやり方に頑なにこだわり、時代の趨勢に左右されない姿勢を貫くことが出来たというのは、不幸中の幸いということでは片付けることの出来ない、佐賀人の佐賀への愛着のような気がします。
「佐賀を探そう」というコピーの前に「人情産地佐賀」というコピーもありました。
当時は、ことさら「人情」を取り上げるのはおかしい。人情は、あって当たり前だろうという批判が多かったようです。
下記は、ラーメン評論家の武内伸氏が、ガチンコラーメン道でブレイクしたカリスマ・ラーメン職人(笑)佐野実氏と佐賀ラーメンを食べ歩いた時のことを書いたテキストの抜粋です。
私たちが地方に行くと、どこでも歓迎してくれるが、人によっては裏心が見え隠れしているのを感じる時もある。しかし、佐賀の人たちからは、心から歓迎してくれる気持ちがひしひしと伝わってくる。これまで佐野さんと2人であちこちの地方に行ったが、人の良さでは佐賀がいちばんではないか、というのが2人の一致した見解である。
「人情産地佐賀」というのは、あながち見当違いではなかったのではないでしょうか?
強要された「郷土愛」やアジテートされた「町おこし」というベクトルとは捩れの位置の、単純に暮らしていて「心地よい佐賀」が、私は好きなのです。