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"夏"に食べたい!!
熱い、世界のカレー。

 2008年05月30日

 夏が近づくとなぜかむしょうにカレーが食べたくなる…?暑い夏に、熱いカレー。夏バテ気味で食欲不振の時もカレーならペロリ、という人は多いのではないでしょうか?それは、カレーの元になっている多様なスパイスには体に良いものがたくさん含まれていて、辛さや香りが食欲を増進するからだといわれています。また、カレーを食べてかく汗は、身体の熱を発散してくれ、暑い夏の体温調節もまかなってくれるという効果も!世界のカレーいろいろ、ムシムシした梅雨の季節は、夏に向けてHOTなカレーで吹き飛ばしちゃいましょう!


スパイスが命、本場インドから伝わった世界のカレー

ご存知、カレーの発祥地はインド。インドや東南アジア地方では、古来からスパイスの栽培が盛んに行われていたので、必然的にカレーが生まれ、代表的な国民食として定着しました。インドでは、何種類かのスパイスを混ぜ合わせて、すりつぶして材料として使います。この混ぜ合わせたスパイスは「マサラ」と呼ばれ、古くからインドの家庭料理には欠かせないものでした。マサラの種類は数え切れないほど多く、料理によって使い分けられます。インド料理はまさにスパイスから生まれた料理といっていいでしょうね。また、本場のインドカレーは野菜中心。豆カレーなどは日本でも人気の一品です。貴重なたんぱく源である豆やビタミンたっぷりのナッツ類はインド料理に良く使われていて、宗教上の理由からも肉などの動物性たんぱく質はあまりとりません。このへんは、日本の食文化に良く似ていますね。また使われるスパイスは、身体に良い成分がたくさん含まれていて、インドカレーを食べた後「なんだか元気になった!」と思う人も多いのでは…?医食同源といっても過言ではないカレー。今回の「店主訪問記」の「創ギャラリーおおた」さんの"有田焼カレー" も28種類のスパイスを調合した、薬膳カレー。日本人がカレー好きなのも、この理由があるからかもしれません。


えっ、これがカレー?大ブームのタイカレー事情

 今では給食の定番メニューでもあり、子ども向けから大人向けのカレー、レトルトカレー、カレーうどん、カレーパン…カレーにまつわる料理であふれている日本ですが、一体どこから入ってきたかというと…。イギリスです。  歴史上、インドを植民地化していたイギリスにインドのカレーが伝わったのは必然のこと。18世紀あたりから、インドのスパイスカレーをヒントにイギリス独自のカレーを考案するようになりました。様々なスパイスを調合したカレー粉に小麦粉を加えてとろみをつけたカレーがそこで生まれたのです。インドのサラサラカレーとは違う、日本でなじみのあるとろとろカレー。これが日本に幕末時代に入ってきて定着したといわれています。 日本人(欧米人)にとってのカレーは、スパイスで味付けた煮込み料理のこと。白ごはんにかけるのも日本と欧米のカレー文化。インドでは、地域によって違いはありますが、大体小麦粉で作ったパンを平たくのばした形の「ナン」を付け合せていただきます。 また、もうひとつ、1990年代に入って人気が急上昇したのはタイカレー。これはまたインドとはひと味違ったカレー。いや、カレーと呼んでいいのかわかりません。いわゆる、タイカレーは本場・タイでは「ゲーン」と呼ばれていて、その意味は「汁」。代表的なものに、赤唐辛子を使ったレッドカレー、緑唐辛子を使ったグリーンカレーがありますが、タイカレーの特徴は味がマイルドということ。グリーンカレーはココナツを混ぜていて、甘さの中にも辛さが残る、一度食べたらクセになる味!それらは、現地では汁物のひとつに過ぎず、日本や欧米、インドでいう「カレー」とは少し意味を異にするようです。


<カンタン!おうちでタイカレー>

●用意するもの

  1. スーパーで売っている、グリーンカレーペースト
  2. 骨付き鶏肉人数分
  3. ししとう人数分
  4. ココナッツパウダー

● 作り方
  1. 鍋で鶏肉を炒めます。
  2. 水をペーストの量に合わせて鍋に入れて、沸騰させます。
  3. 沸騰したらししとうを入れ、中火で20分ほど煮込みます。
  4. 火を消す直前に適量のココナッツパウダーを全体にまぶしてできあがり!
※骨付き鶏からダシが出るのがポイント!ココナッツパウダーを忘れずに。普通のカレー作りよりカンタン。仕上がりはサラサラの汁状です。


アイデアを取り込んだら世界一。ニッポンのカレー

 日本人は古来より、諸外国から入ってきた文化を日本独特の文化にアレンジし直すことに長けている民族。カレーも同じのようですよ。  幕末時代、日本各地の開港を機会に、外国人の商人たちが出入りし始め、さまざまな文化、西洋料理、そしてカレーも伝わってきました。明治維新のころには「文明開化」ブームにのり、牛肉が急速に普及し、手軽に食べられる西洋料理として、カレーの認知度は一気に広がりました。明治後半には、外国人船員に向けて作られた洋食屋の定番メニューはライスカレー。噂が広まり、日本人も洋食屋にこぞって通うように。そんな中、東京でカレーうどんが誕生。後にカレーパンも登場。どちらも日本オリジナルです。さすがですね。  時代は戦争時に入り、昭和20年の終戦まで食料統制のため、カレーの製造・販売は中止されましたが、軍用食のためのカレーは製造していました。現在、おみやげでも軍隊用のカレーは人気を集め、その美味しさは定評があります。  家でカレーを作るときは、カレールウを使うのが普通ですが、このルウも日本独自の研究によるもの。昭和25年に登場し、昭和44年にはお湯で温めるだけのレトルトカレーが発売されました。レトルトカレーの登場は画期的で、簡単で保存もきき、非常食にも良し…そして、ついに平成2年、毛利宇宙飛行士によってレトルトカレーが宇宙でデビューしたのです。レトルト商品は、アメリカのNASAで1960年代から宇宙食として開発し続けられたものでしたが、毛利さん以来、レトルトカレーは宇宙食のメニューの定番となりました。


 身近なようで、奥が深い、カレーの世界。年々新しいカレーが発売され、カレー専門店も増加の一途をたどるなど、人々、特に日本人にとっては、カレーは家庭食でも外食でも欠かせない、美味しい逸品のようですね。

投稿者 さがファン : 19:41 | コメント (0) | トラックバック

佐賀のお菓子に歴史あり-。
大隈重信侯が愛した故郷(ふるさと)の味。

 2007年05月31日

 幕末維新期、近代日本の礎を築いた佐賀の先人たち。かつて、佐賀・鍋島藩は約36万石の栄華を誇り、明治政府の要人に何人も抜擢されるなど、佐賀の賢人たちは全国的に大活躍しました。鍋島藩10代藩主、鍋島直正公をはじめとする「佐賀の七賢人」と呼ばれる人物の中で、ひときわ目立っていたのが、希代の大政治家・大隈重信侯。彼は故郷の味を大切にし、中でも丸ぼうろがお好みだったとか。今回はそのエピソードを紹介します。

大隈侯の原点を作った佐賀の青春時代

大隈重信旧家 「近代日本の設計者」と言われ、明治政府では二度の総理大臣を歴任し、早稲田大学(東京専門学校)を作るなど、佐賀が生んだヒーロー・大隈重信侯。彼は城下町の佐賀市水ヶ江に生まれ、31歳まで佐賀藩士としてこの地で青春時代を過ごしました。
 7歳の時に藩校・弘道館に入学、軍隊のような厳しさで知られる弘道館で、のちに校内改革をとなえ、放校処分になるという豪快なエピソードの持ち主でもあります。また、今も残る大隈重信旧家の屋根裏にしつらえられた、大隈侯のための勉強部屋には、勉強中に眠くなった時に頭を打ち付け、気を振るったという木の柱も残っています。のちに彼は長崎に渡り、フルベッキに外国語を学び、明治政府では外務大臣としても活躍しました。

東京に居を構えても忘れなかった味

大隈記念館

大隈侯生誕125年を記念して、昭和41年(1966年)に開館。内部には大隈侯ゆかりの展示物や、ビデオ、スライドの展示があり、護身用の日本刀入りステッキなど、貴重な展示物もあります。特徴ある外観は、玄関の扉は大きな口、ひさしと赤いステンドグラスは早稲田の角帽、建物の左に空いた穴は切断した右足…と身長182cmの堂々たる体躯を持った、大隈侯すべてを表しています。大隈重信旧家(国指定史跡)も隣接、銅像も建っています。

 大隈侯は当時としては長生きで84歳、大正11年(1922年)まで生きています。そのうち、佐賀より東京で過ごした時間の方が多く、大隈といえば、「東京・築地」というイメージが強いですが、彼は故郷・佐賀を忘れたことはありませんでした。
 時は1896年(明治29年)、総理大臣2度目の就任時、母・三井子の一周忌に帰佐し、お寺に行く前に立ち寄られたのが、今回の店主訪問記でとりあげているお菓子司「鶴屋」さんです。その折、茶菓として献上された丸ぼうろを食べた大隈侯は「ほかに類例少なき風味」とその味に大変感動したそうです。東京に戻った大隈侯が、丸ぼうろの味を懐かしんでいると聞き、「鶴屋」11代目の善吉は職人を伴い上京。大隈侯の邸内でかまを焚き、作った丸ぼうろを献上しました。大隈侯は涙を流さんばかりに喜び、いくつもいくつも故郷の味を楽しんだそうです。


「たえず学び、行え」-佐賀と母と大隈侯

 大隈侯は大政治家になった後でも、ともかく人と会うことを好みました。これは、幼少時代から、人を愛し、慈善を施すことを好んだ、母・三井子の教えに従ったものでありました。大隈侯にとって、母・三井子は原点であり、故郷の佐賀そのものでした。それは、水ヶ江にある「大隈記念館」でその思いやおもかげをしのび観ることができます。時に大隈侯51歳、明治22年(1899年)、暴漢の投弾に遭い、右足を切断することになってしまうのですが、その時も暗殺未遂の犯人を「愛国の精神をもって行動したる志士なり」と称賛したというのですから、大隈侯という人物の非凡なスケールぶりがうかがえます。
 大隈侯は佐賀に戻ることはなく、東京で人生の幕を閉じますが、大隈侯が佐賀にいたままだったら、一体今現在の佐賀はどうなっていただろう…などと想像もしてしまいますね。東京遷都論をとなえたのも、大隈侯の仲間である「佐賀の七賢人」たち。大隈侯のような佐賀の賢人がいなかったら、東京も、今の世の中もなかったといっても過言ではありません。東京で大活躍しながら、故郷・佐賀を愛し続け、銘菓・丸ぼうろを愛し続けた大隈侯。「たえず学び、たえず行え」をモットーにしていた大隈侯。佐賀の誇りたる人物ですね。

DATA
所在地 佐賀市水ヶ江2-11-1
電話 0952-23-2891
開館時間 9:00~17:00
休日 月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始
入場料 大人300円、子ども150円
アクセス JR佐賀駅からバスで約15分

投稿者 さがファン : 20:27 | コメント (0) | トラックバック

新茶のおいしい季節です!
ほっこり“和”のティータイム。

 2006年05月31日

 新茶がおいしい季節になりましたね。皆さんはもうお試しになりましたか? 6月16日は「和菓子の日」。あまり外出しにくい、梅雨の季節は部屋でゆったり“和”のティータイムを楽しんでみませんか-。全国有数のお茶の産地・佐賀のお茶&お菓子大国でもある佐賀の和菓子…組み合わせは抜群ですヨ!

日本茶のふるさとは佐賀にあり!

 今では全国ブランドとなった「嬉野茶」をはじめ、佐賀は全国でも有数のお茶の産地。お茶の原産地は中国大陸ですが、平安時代に遣唐使や留学僧によって、日本にお茶が伝えられました。その栽培を始めたのは、なんと佐賀が最初の地だと知っていましたか?  歴史をさかのぼること800余年。鎌倉時代に、臨済宗の開祖・栄西禅師が、中国・宋からお茶の種を持ち帰り、当時山岳仏教の聖地とされていた脊振山に種を巻き、お茶を栽培したといわれています。そこから東へ、全国へと広がっていったのです。

雲仙寺跡
お茶栽培の発祥の地・脊振山の霊仙寺跡<吉野ヶ里町(旧・東脊振村)>

全国ブランド!嬉野・釜入り茶

 中国式の釜入り製法が有名な嬉野のお茶が登場したのは、約500年前の室町時代。中国から渡来した唐人が嬉野に住み着いて、お茶の栽培を始めたのがきっかけです。16世紀初めには中国から釜が持ち込まれ、釜入り茶の製法が伝えられてゆきました。「嬉野茶」ブランドが確立したのは、江戸時代。嬉野茶の茶祖といわれる吉村新兵衛が、茶樹の栽培やお茶の生産を奨励。今も嬉野町に残る、樹齢300年以上の大茶樹はその当時の1本です。

大茶樹
樹齢約340年、樹高4.6mの巨大なお茶の木「大茶樹」(嬉野町)

嬉野茶
嬉野町では「うれしの茶ミット」(4月)などのイベントも毎年開催

お菓子王国・佐賀!6月16日は和菓子の日

 今月16日は全国和菓子協会が定めた「和菓子の日」。お茶文化と一緒に花開いていったのは、お菓子や焼き物文化というのは想像に及ぶところです。佐賀は“お菓子王国”なのはもうご存知ですよね? 佐賀にはお菓子の老舗どころ、北島村岡屋など有名店舗がズラリ。丸ぼうろ小城羊羹…、松露饅頭にけいらん、逸口香、白玉饅頭…。村岡屋のさが錦などの創作和菓子も全国的に人気を呼んでいます。

 佐賀がお菓子どころなのは、「シュガーロード」があったからといわれています。江戸・鎖国時代、唯一開国していた長崎から入った海外の知識や文化は、この長崎街道を通じて全国に広がっていったのです。さまざまな物資が街道を通って終点の小倉まで運ばれ、佐賀城下町を横断する長崎街道は別名“シュガーロード”と呼ばれていました。当時佐賀藩の大きなお役目は長崎警備にあり、また13もの宿場があったため、貴重な砂糖や南蛮菓子がたっぷりと手に入ったと言われています。そこから数々の銘菓が生まれたんですね。 

 さがファンでは薫り高い嬉野の新茶に、甘~くておいしい和菓子…銘菓をたくさん用意しています。6月のひと時、ほっこりとした和みのティータイムを、嬉野茶&佐賀銘菓でぜひご堪能あれ!

丸ぼうろ
佐賀を代表する銘菓・丸芳露(まるぼうろ)。シンプルな形に滋味深い味わい

小城羊羹
和菓子といえば羊羹。小城町の小城羊羹はお土産の定番です


投稿者 さがファン : 20:15 | コメント (0) | トラックバック

佐賀が生んだ、極上の霜降り魅惑の佐賀和牛

 2005年06月01日

 佐賀の代表的な特産品といえば、やっぱり“佐賀の和牛”。

 きめの細やかな美しい霜降りに、舌の上でとろける柔らかさ。その品質は国内でもトップレベルを誇り、松坂牛や神戸牛と並ぶ最高級牛肉として全国区の人気です。

 一流の牛肉ブランド『佐賀牛』や、食通にも支持が多い逸品『伊万里牛』…。
一度、食べればどんな人もトリコにしてしまう、肥沃な佐賀の大地が生んだ“魅惑の佐賀和牛”。
 じっくり一級品の美味を堪能してください。


SAGAの和牛 基礎知識

Q1 『佐賀牛』はどうして生まれたの?

 “佐賀牛”という言葉が定着したのは、昭和60年代前半。
 佐賀産の和牛は、昭和30年代半ばから “牛津牛”の名前で関西市場に出ていましたが、その肉質の良さはローカルブランドの中でも注目されていました。
 
 そして、佐賀県下の若手肥育農家グループが研究を重ね、昭和59年、『佐賀牛』と正式に命名。
 
 県下JAグループから出荷される肉牛枝肉に『佐賀牛』シールを貼り、大阪市食肉市場において販売を開始しました。関西地区を中心としたテレビCMの効果もあり、徐々に食肉業界で『佐賀牛』銘柄が浸透していきました。
 
 松坂牛、神戸牛、米沢牛…全国に約150種ほどある『○○牛』といった、肉牛ブランドの中でも最高級の品質を誇るのが『佐賀牛』ブランドですが、佐賀で産まれた牛肉がすべて『佐賀牛』を名乗ることはできません。
 最高級の牛肉と認められる、厳しい基準をクリアした肉だけが『佐賀牛』というブランド名で世の中に出ることができるのです。


Q2 『佐賀牛』の定義基準を教えて!

 国産の牛肉は(社)日本食肉格付協会によって、A5等級からC1等級までランクを15段階にすべて定められ、この等級によって品質が評価されます。『佐賀牛』は高品質の牛肉を安定供給するために、JAグループ佐賀が定めた基準をクリアしたものに限られます。

 『佐賀牛』という銘柄を名乗れる肉牛は、JAグループ佐賀管内肥育農家で飼育された黒毛和種であること、最高のランクA5等級とA4等級のうち最上級のものであること、などの厳しい基準を満たしたものであり、それ以外の肉牛を『佐賀産和牛』、『佐賀交雑牛』などと分けて、ブランド化しています。

 ※詳しくはこちらhttp://www.sagagyu.jp/


Q3 “BSE”問題は、大丈夫なの?

 平成13年、BSE(牛海綿状脳症)が日本国内で発生しました。現在、国ではBSEに感染した牛肉が、市場に出回らないようにシステムが確立され、食用牛肉の安全性の確保がされています。
 
 出荷された牛は、一頭一頭念入りにチェックされます。食肉衛生検査所で「スクリーニング検査」といわれる1次検査が行われ、免疫反応を調査。そこで、陽性と判断された場合には、国が指定した検査機関で、「確認検査」といわれる2次検査が行われます。
 もし、2次検査で陽性の結果が出れば、国の専門委員会に審議され、最終的にBSEの確定診断が行われることになっています。BSE牛の摘発には、このようにしっかりとした体制が整えられています。



高級ブランドが佐賀に揃うわけ

 最高のランクA5等級は、全国平均で全体の約20%しかとれません。その中で、『佐賀牛』は全国平均の15%を上回る割合で最上級のA5等級が占めており、『伊万里牛』は全体の約50%がA5等級。佐賀に高級ブランドが多い理由は、やはりその環境にあります。
 
 生後10ケ月ほどの子牛の時に、宮崎や鹿児島から買われ、成牛になり出荷されるまで22ケ月。
 その間、牛たちはおだやかな気候の中、肥沃な佐賀の大地でのびのびと育てられます。済んだ空気に清川の名水、豊かな牧草…。また、毎日のエサは成長に合わせ、研究を重ねられ調合されています。

 他の土地で育った牛よりも、ストレスの少ない佐賀の和牛たちは、畜産家の愛情のたまものでもあるのです。

  佐賀の和牛を見てみる:食べたくなった方はここからどうぞ!: 


●風味が命!の牛肉

 牛肉は新鮮が一番。空気にさらすと風味が落ち、痛みが早いので、保存は必ずラップで密閉しましょう。
 
 風味が命の牛肉。冷蔵保存は1週間、冷凍保存は1ケ月が限界です。
 なるべく、早めに調理していただきましょう。

 冷凍した肉の解凍は、冷蔵庫で時間をかけ低温解凍するのが理想。または電子レンジで解凍するのが基本です。
 常温解凍や、お湯や水を使った解凍は風味を逃してしまうので気をつけましょう。

投稿者 さがファン : 11:14 | コメント (0) | トラックバック