« 2007年11月 | メイン | 2008年01月 »
世界が誇る陶都・有田―。
器あるところに、食あり、ロマンあり。
2007年12月22日
日々の食卓を彩るのに欠かせないのが器。器によって料理が映え、目で楽しみ、口で味わい、より美味しくいただけるものです。いわずもがな、佐賀、いや全国、いえ、世界が誇る「有田焼」は約400年の歴史を持ち、変わらず伝統を継承し続ける稀有な焼き物。 透き通るような純白な磁器の肌合いと、華麗で繊細、美しい絵付けはどんな人をも魅了する有田焼。その格調高い伝統美の背景にはどんなロマンがあったのでしょうか-?
日本の"磁器"の発祥の地、ここにあり
有田は日本で始めて、磁器の生成に成功した土地です。えっ、焼き物はわかるけど、磁器?陶器?…陶器は土を成形して焼き上げるもので手触りはゴツゴツとしたいわゆる"土モノ"。
これは日本では縄文時代から各地で作られ、有田の山里でも陶器をつくっていた窯跡が多く見つかっています。では磁器とは-?磁器は石を砕き、その粉と磁土を混ぜ、陶器よりはるかに高い温度で焼き上げるもの。見た目は薄く、軽く、陶器より壊れそうなイメージですが、実は逆。器を指で弾くとキーンと透き通った美しい金属音が響くほど強度に優れているのです。
有田焼の歴史は戦国時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年~1598年)のおり、同行した佐賀・鍋島藩藩主、鍋島直茂が帰国する歳に朝鮮から多くの陶工たちを連れて帰ったことにさかのぼります。その中の李参平(り さんぺい)が江戸時代初期の1616年、有田の泉山にて日本初の磁器生成に成功しました。そして、有田焼の特徴のひとつ、白磁の肌に映える美しい絵柄はその後、中国人から"赤絵"の技法を陶工たちが学び、日本人陶工酒井田柿右衛門がその技法を取得、成功。1640年代から絢爛たる赤絵文化が華開きました。こう見ると「有田焼」が完成するまで約40年もの時間がかかっているんですね。
先に海を渡った有田焼-王様もトリコに!
日本初の磁器文化。その素晴らしい技法によって作られた美しい器たちは庶民の食卓を飾ることはなく、先に海外輸出がなされました。
海外では「IMARI」と呼ばれていた有田焼。生産された焼き物は、伊万里の港から船積みされました。そのため古い有田焼のことを「古伊万里(こいまり)」と呼んでいるのです。鎖国体制の中、長崎・出島に近いことから大きく発展した焼き物貿易。これは約250年続いたといわれています。遠くヨーロッパの王族や貴族の審美眼にかなった有田焼は、価値の高いものになると純金と同じ価値で取引されたといいます。中でも有名なのはドイツのザクセン選定候・オーガスタ王。有田焼に魅せられた熱狂的なコレクターで、自領内に「日本宮」と名づけた陶磁器美術館を建設し、他国から陶工や絵付け師を連れてきて、自領内で焼かせることもされました。それがのちに、有名なマイセンの製陶工場を築くこととなり、ヨーロッパの磁器文化に大きな影響を与えたのです。マイセンの絵柄は有田焼の絵柄の影響をずいぶん受けており、逆に有田焼も出島にやってきた商人たちから、ヨーロッパ独自の美術やデザインを教わりました。
有田町は1979年、ドイツのマイセン市と姉妹都市の提携を行い、現在でも相互交流を盛んに行っています。
佐賀・鍋島藩も隠したがった、たぐいまれな技法

江戸時代の動乱の世、有田焼の技法を外部にもれることを恐れた佐賀・鍋島藩は有田地区に藩窯を築き、有田だけで生産を行い、職人、陶器商人の出入りを厳しく取り締まりました。その徹底した管理体制のもと、有田焼は着実に確固たる技法のもと、開発を続け、藩窯で作られた焼き物は藩御用のものや、幕府献上用に作られました。藩窯は江戸末期に現在の大川内山に移動し、現在でも大川内山は秘窯の里として多くの観光客が訪れます。 「古伊万里」と呼ばれる、古い有田焼は現在でも非常に価値の高いものとされ、中国の影響を受けた大胆な絵柄、そしてヨーロッパの美術をも融合した豪華絢爛なデザインはコレクターを魅了してやみません。古伊万里を基調として続く、「柿右衛門」系は控えめで格調高い絵柄がドイツのマイセン窯でコピーが作られるほど支持されました。そして、藩窯御用達の「色鍋島」はインドやペルシャなどの影響を受けた流麗で、気品ある絵柄が特徴で、それぞれの背景には一つの絵皿に込められたロマンを感じられます。
器が先か、食が先か。400年のロマンが語りかけてくるもの
有田焼はこのように、見て楽しむもの、審美眼の高いヨーロッパの王族・貴族に愛された高価なものというイメージが強いですが、元々は"器"。美術品でありながら、用途は食器です。薄くても丈夫、手触りもやわらかく、口当たりの優しい有田焼は日常用の食器には最適な器です。昨今では、「究極のラーメン鉢」や焼酎ブームに目をつけた「究極の焼酎盃」などが全国的にも話題になっています。残念ながら、それに便乗し、偽有田焼が出回るなど悲しいニュースも聞きますが、約400年の歴史と技法はずっと継承され続け、そして、何よりもその歴史の背景に息づいたロマンは消えることはありません。
今月の「店主訪問記」にて、「宗政酒造」の和田さんがおっしゃっていたように、有田焼は別の陶器のように"食あるところに器あり"ではなく、最初は美術品としてスタートしたもの。しかし、その美しい器に料理を、飲み物を盛り付けたらどんなに美味しいことでしょうか。どんなに、日常が潤うでしょうか…?
有田地区には伊万里牛やありた鶏、焼酎、日本酒…などたくさん地元の"美味しいもの"があります。
今後は食と器のコラボレーションがきっと大きく展開されていくことでしょう。400年のロマンと共に-。
