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実は佐賀は麺どころ!?
真夏の美味麺。

 2007年07月30日

 雲ひとつない青空に、照りつける太陽―夏本番です!レジャー三昧にワクワク!…といいたいところですが、厳しい暑さに既にバテ気味といった人が多いのではないでしょうか?食欲もない、動きたくない…そんな人にはやっぱり"麺"!!ツルリと涼しげに喉をかけぬける味麺を食べれば、真夏気分を風流に満喫できそう。「 さがファン」では、真夏にピッタリな美味麺をたくさん用意しています。さっそくクリック


麺のはじまりは"お菓子"だった…!?

 夏の麺といえば、我らが佐賀・神埼の"神埼そうめん"を外して語れませんね。でも、そうめんを含む麺類は一体いつから一般人に楽しまれていたのでしょう?
 今では、真夏の風物詩―麺は最初から麺として伝来してきたわけではありませんでした。奈良時代、中国からもたらされた唐菓子の一種「索餅」(さくへい)という縄のような形のものから、やがて切り麦文化が生まれ、「索麺」(さくめん)からなまって「素麺」(そうめん)となったのです。うどんもしかり、で奈良時代にもたらされた唐菓子の一種に餛飩(こんとん)というものがありました。これは、小麦粉の皮で肉などのあんを包んだ丸いワンタンのようなもので、これがのちに、熱く煮て食べられるようになったところから、温飩(おんとん)となり、それが饂飩(うんどん)になまって変化し、切り麦となって室町時代には、現在の麺の形になったといわれています。麺のはじまりはお菓子だったとは…。日本人は、輸入した素材を「日本人風にアレンジし、別のものにするのが上手い」と昔から言われていることですが、ここでもそれが垣間見られますね。


"西日本がうどん、東日本がそば"な理由

 うどんといえば、冬にホクホクと食べるイメージがありますが、夏の冷しうどんもオツなもの。さて、よく「西日本はうどん、東日本はそば」と言われますが、それはなぜでしょうか?一体どこからうどんとそば文化が分かれているかというと、愛知県豊橋、と言われています。丁度日本の中間地点ですね。諸説はさまざまですが、蕎麦においては、そば自体そのものが縄文時代にまでさかのぼり、東日本各地で栽培されていたことがわかっています。今の麺の形、「そば切り」になったのは江戸時代で、最初、汁をつけて食べていましたが、いちいち汁をつけて食べることが面倒になったことから、そのまま汁をかけて食べる「ぶっかけそば」が登場しました。これが、のちに「かけそば」になったのです。それと区別するために、ざるそばなどは「もりそば」と呼ばれました。そもそも蕎麦は寒冷地でよく育つため、東日本に根付いたという説が有力で、反対にうどんの原料である小麦粉は温暖な気候で育つことから、西日本に多いといわれています。


うどん・そばの発祥地は実は九州!!

 神埼そうめんの由来はみなさん、もうすっかりご存知でしょう…? 福岡の博多区・承天寺の境内に「饂飩蕎麦発祥之碑」という石碑が建っています。これは、1242年、鎌倉時代に博多祇園山笠の創設者である聖一国師が、中国に渡り、水車による製粉技術を学び、うどん・そばの作り方を福岡・九州の地に伝えたという記念碑です。製粉技術の図面も残っており、これは国宝として京都の東福寺に保存されています。当時、博多は海に面していたことから。大陸や朝鮮半島との貿易が盛んで、さまざまな物資や文化が入ってきていました。うどんやそうめんの"素材"は既に奈良時代に入ってきていましたが、実際に今につながる食べものとして伝えたのは、まぎれもなく、九州・博多人だったのです!
 今では、四国・香川の讃岐うどんに押され気味ですが、福岡県内にも老舗のこだわりうどん屋がいっぱい。讃岐から修行に来る職人や、逆もしかり、など、両県でうどん交流が続いています。


発覚! そうめんはやんごとなき食物

 乾めんは、日持ちがすることから昔から保存食として重宝されていました。また、見た目から想像できませんが、ほとんどが脂質という栄養たっぷりのそうめんは、高貴な身分の人々しか食べることができず、庶民が楽しむようになったのは、江戸時代。しかも、特別な記念日にだけいただける"ハレ"の食材だったようです。
 平安・鎌倉時代の記録によると、「七夕」にそうめんの前身「索餅」を食べるのは、中国の故事にのっとり、この日に食べると疫病にかからないとされたからだそう。また、研究によると、「その年に収穫した小麦からつくった、小麦粉の団子を七夕の日に食べる風習があることから考え、小麦粉の団子を七夕の日に食べる風習があることから考え、小麦の収穫儀礼として、小麦粉から索餅、そうめんを食べる風習ができた」とされています。
 現在、そうめんは夏のお中元の贈答品としてポピュラー。元をたどれば、高貴な人々しか食べられなかった"ハレ"の食、そして、江戸時代中期から庶民の間では、七夕にそうめんを贈る習慣が普及していたといわれています。もともと、そうめんは七夕行事と深い関係があったのですね。だから、夏に食べるもの、となったのでしょうね。

 佐賀では三瀬峠周辺に、"そば街道"ができるなど、休日には県外からたくさんの人が訪れます。なぜ、三瀬村付近に固まっているかというと、平地ではなく山のため寒冷地で蕎麦の栽培がしやすいとのこと。神埼も、肥沃な大地と美しい清流が小麦を育てやすい土地柄。麺づくりに最適な土地を持つ佐賀―実は、"麺どころ"だったんですね!


投稿者 さがファン : 2007年07月30日 13:27

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