佐賀の賢人は、日本の偉人なり―。
SAGA History
初心者入門!
2008年01月30日
"歴史"という言葉を辞書で調べてみると、「人類社会の過去における変遷・興亡のありさま、また物事の現在にいたる来歴」とあります。そう、歴史はたゆまなく流れる時空世界で、その時間だけ切り取ることはできないもの。今、ここ、佐賀に食や観光、伝統が産んだ工芸品など素晴らしいものが息づいているのはその"歴史"がつないできたものなのです。
佐賀は、近代日本を作る上で大きな役割を果たした地でした。佐賀・鍋島藩36万石が築いてきた道、近代日本の礎を築いた人材と業績を産んだ背景をここで簡単にたどってみることにしましょう!
佐賀・鍋島藩11代のはじまり、はじまり。
時代には節目となる大きな戦いがあります。戦国の世を平定し、日本を一つにまとめ江戸幕府270年余の安泰を築くに至った1600年の「関ヶ原の合戦」がそのひとつ。
戦国時代以前、佐賀(肥前)地方は西九州を席捲し"五州ニ島の太守"と呼ばれた、龍造寺家が強大な力を持っていました。戦国時代の真っ只中、"肥前の熊"と呼ばれ史実でも冷酷な人物と語られている(本当のところはどうだかわかりませんが…よっぽど怖い人ではあったのでしょうね)龍造寺隆信が亡くなった後、龍造寺家の家来で重鎮家老であった、鍋島家の鍋島直茂が隆信の後継ぎの子をサポートするという形で国政を担当したのが鍋島家台頭の始まり。後に朝鮮出兵で太閤秀吉の目にかなったのもあり、直茂は実質、肥前の支配権を握ることになるのです。つまり、鍋島家はかつての主君・龍造寺を家来とすることになり…成り行きとはいえ下克上の世の中ですね…。
それから、関ヶ原の合戦で徳川家康率いる東軍に参戦、勝利しそれから270年余。佐賀・鍋島藩は小城、蓮池、鹿島の3藩支配に、龍造寺家一門を抱える、全国300諸藩でも上位の雄藩へ大躍進。幕末・維新時には36万石にも及ぶ大藩になり、近代日本を揺るがす重要な存在に成り上がったのです。
佐賀はもともと2つの国だった…!?
佐賀にはご存知、2つの海~外界につながる荒い玄界灘と、干拓が広がる独特で穏やかな有明海があります。その真ん中に山々や佐賀平野が広がり、全国でも珍しい作りの地柄。海側と山側の言葉も風習も気質も違う、とは今でもちらほら耳に入るもの。それもそのはず、佐賀は近代になって「県」になるまで、まったく政治統括が違う2つの国によって成り立っていたのです。
佐賀・鍋島藩36万石は厳しい教育のもと、藩政、ゆくゆくは日本を統治する人材を生み出し、アームストロング砲など軍事力も薩摩藩77万石と並ぶほど強大で、日本初の蒸気船を研究の末、完成させるなど、その活躍のめざましさは一言で語れません。そこまで強大な藩になった大きな理由が、その土地性にありました。当時、佐賀藩の大きなお役目は「長崎警備」。唯一開国していた長崎からは砂糖や情報が長崎街道を流れてきたり、逆に有田焼など伝統文化の焼き物を輸出したり、と文化面で大きな影響を受け合いましたが、やはり異国がいつ攻撃してくるかわからない、という切迫した緊張感が軍事力強化に結びついていったのでしょう。
佐賀を語るのに、佐賀・鍋島藩だけがクローズアップされがちですが、唐津藩も忘れてはなりません。なぜ、佐賀県には現在お城跡が2つもあるのか!?それは、佐賀が2つの国に分かれていたから。佐賀藩と唐津藩はまったく政治を異にするもので、外様大名(関ヶ原の戦い前後に徳川氏の支配体型に組み込まれた大名で、主家の家政には関わらず、軍事動員などにだけ応じる場合が多い)であった佐賀・鍋島藩に対し、唐津藩は譜代大名(数代にわたり主家に使え、家政にも関わってきた家臣のこと。主家との君臣関係が強く、徳川氏の直轄軍に編成される)。ゆえに、鍋島藩が直系で幕末・維新時まで11代続いたのに対し、唐津藩のお殿様は江戸や別の土地からやってきた人間がころころと変わりました。つまり、江戸幕府直轄の地であったため、お殿様も地の人間ではなく(最初は地の人でしたが)、佐賀(肥前)と縁もゆかりもない人間が徳川幕府の監視のもと、政権を握っていたわけですね。今の会社組織でいえば、本社が徳川幕府で、支社の支店長に飛ばされる、という感じでしょうか。対して、佐賀藩は地場大手企業…。ちょっと強引ですが…。
そんな唐津藩も土地柄、目の前は朝鮮や中国大陸だったので、よく戦いの場に選ばれました。また、同じく朝鮮や大陸との文化面の交流、交易も盛んでした。唐津人の気質として、開放的でお殿様崇拝度少なし、気が強し、とありますが、主君が別の土地の人間、自らふんばって生きていかなければならない、と想像すると、玄海灘の荒波のイメージも手伝って、現在でも出身地を尋ねると「私は唐津人です」と言う人が少なくないのも何となくわかるような…!?
日本近代の礎を築いた、偉大なる賢人たち
「佐賀に七賢人あり」と言われ始めたのは第二次世界大戦後。実際には7人どころか何十賢人も存在しました。佐賀城本丸歴史館では現在、「佐賀の百賢人」をピックアップ中だそう。時代が幕末の混乱から、明治という新時代に変わる時、佐賀・鍋島藩36万石なくてはなし得なかったといいます。その中でも幕末・維新時に大活躍した七賢人を簡単にご紹介します。
1、 鍋島直正・なべしまなおまさ(1814~1871)
佐賀藩10代藩主。閑叟(かんそう)さんの愛称で親しまれています。財政難だった佐賀藩をさまざまな方向性から建て直した賢公。
| 佐賀城本丸歴史館 | |
|---|---|
| 住所 | 佐賀市城内2-18-1 |
| TEL | 0952-41-7550 |
| 開館時間 | 9:30~20:00 ※入場無料 |
2、 大隈重信・おおくましげのぶ(1838~1922)
長崎でフルベッキに英語、蘭学を学び、明治政府では大蔵卿などの要職に就き、二度の総理大臣を歴任。現在の早稲田大学の創始者。
| 大隈記念館 | |
|---|---|
| 住所 | 佐賀市水ヶ江2丁目 |
| TEL | 0952-23-2891 |
| 開館時間 | 9:00~17:00 |
| 料金 | 大人300円、小人150円 |
3、 佐野常民・さのつねたみ(1822~1902)
全国一流の蘭学塾で学び、精煉方の責任者として科学技術に取り組む一方、人道主義思想も紹介し、日本赤十字社を創設したことでも有名です。
| 体験学習施設 佐野常民記念館 | |
|---|---|
| 住所 | 佐賀市川副町大字早津江津地内 |
| TEL | 0952-34-9455 |
| 開館時間 | 9:00~20:00 |
| 料金 | 大人(18歳以上)300円、小人100円 |
| 休館日 | 月曜(祝祭日の場合は翌日) |
4、 江藤新平・えとうしんぺい(1834~1874)
明治政府では参議・司法卿となりますが、進歩的な思想により急進的な立場をとって下野。「佐賀の乱」で首領にかつがれ、処刑、無念の死を遂げました。
5、 島義勇・しまよしたけ(1822~1874)
幕末から北海道を探査、明治政府では北海道開拓使判官となって、札幌の街づくりの基礎を築きました。
後に「佐賀の乱」で、江藤と共に無念の処刑。
6、 副島種臣・そえじまたねおみ(1828~1905)
長崎のフルベッキから英語や蘭学を学び、明治政府内では外交政策を担当、難事件を解決し、外交官として世界的な評価をあびます。書家としても有名。
7、 大木喬任・おおきたかとう(1832~1899)
江藤新平と共に「東京遷都論」を唱え実現。後に、東京府知事、民部卿などを歴任。初代文部卿として明治の教育制度の基礎を作り、長く政界で活躍。
さて、入門編楽しんでいただけたでしょうか。こちらでご紹介しているのは永~い歴史の中のほんのちょっとの断片…。これをきっかけにして、どんどん佐賀の歴史の面白さに触れていってくださいね。きっと、今、住んでいる佐賀という土地が、佐賀人であるということが誇りに思えてくるはずです!
投稿者 さがファン : 17:35 | コメント (0) | トラックバック
お世話になったあの人へ-。
HAPPY VALENTINE!!
2007年01月31日
暦の上では立春を迎えても、一段と寒さが厳しくなる2月。だけどHOTなイベントがやってきますよ。そう、バレンタイン・デー。
ご存知、女性から男性へチョコレートを添えて愛を伝える一日ですが、現在では、日ごろお世話になっている人々へ、性別問わず感謝の気持ちを伝える日としても広まっています。さがファンでも甘~いお菓子、たくさん用意していますよ!
命をかけて愛の大切さを訴えた 聖人バレンタイン
さて、このバレンタイン・デーというイベントはどのように定着したのでしょう? バレンタイン・デーの正式名称は「St. Valentine Day(聖バレンタインの日)」。イタリアが発祥地で、その由来は3世紀にまでさかのぼります。その頃のローマでは戦争が盛んで、ローマ皇帝は兵士達の士気を落とすまいと、若者同士の結婚を禁止していました。そんな若者をあわれに思った、キリスト教の司教バレンタインは、愛し合う恋人同士を内密に結婚させていたのです。
それを知ったローマ皇帝は怒り、当時異教とされていたキリスト教から、ローマ国教への改宗をバレンタインに迫りました。しかし、彼は拒否し、とうとう投獄され、西暦270年、2月14日に処刑されてしまうのです。彼は、死の直前まで愛の大切さを訴え、彼自身もある女性に「あなたのバレンタインより」と書いた手紙を渡しました。それが、バレンタイン・カードの始まりで、現在欧米では「From Your Valentine (あなたのバレンタインより)」や「To Be My Valentine(私のバレンタインになって)」など、愛のメッセ―ジを書いたカードや花束を、恋人同士で贈り合う行事となって定着したのです。
甘~いチョコレートを贈るのは、 日本独特のイベント!?
バレンタインといえばチョコレート。でもチョコレートを贈るというイベントは、実は日本だけのものなんです。でも司教バレンタインの生誕地、イタリアでもこの日がイベントになった理由があります。3世紀のローマではちょうど、2月15日に縁結びの祭りが行われていました。そしてのちに14日に殉教した、司教バレンタインの話と結びつき、次第に2月14日は恋人たちの記念日として定着していったのです。
では、なんで日本ではチョコレート?と思われるかもしれません。これは、日本独特の習慣的イベント。1936年(昭和11年)に神戸の老舗洋菓子店が消費拡大のために始めたキャンペーンで、一般的に広まったのは1970年代。また、“女性から男性に愛を告白する日”という提案も日本独自の提案です。実際、バレンタイン・デーは世界各国に広まっていますが、欧米では恋人同士で、または男性から女性へプレゼントや花束を贈るという一日だそうですよ。
それならホワイトデーも もちろん日本だけのもの!?
それならば3月14日のホワイト・デーは…?これももちろん、日本独自のイベント。1977年に福岡の菓子処「石村萬成堂」がマシュマロ・デーとして提案したのがきっかけです。男性の気持ちに例えたチョコレートをふわっと白いマシュマロでくるみ、女性にお返しをしましょう、というもの。のちに全国飴菓子工業協同組合によって、純潔を表した白の色を使って、ホワイト・デーとしたのです。
女性から男性へ愛を伝える日、義理チョコなど、お世話になった人へ感謝の気持ちを贈る日という、私たちが知っているバレンタイン・デーは、日本の製菓会社が販売促進のために、広めたものだったのですね。しかし、そのおかげで、すっかり日本的な一大行事として定着し、女性に勇気を与え、恋人たちに幸せを与え、人間関係が円滑に行くきっかけを与えてくれる、ステキな一日となりました。
現在では、女性が男性に、とは限らなく、お世話になった会社の上司や友達、性別問わず日ごろの感謝の気持ちを伝えるために、チョコレートが役立っているそうですよ。
元々は純粋な“恋人たちの記念日”だった、というバレンタイン・デー。命をかけて、愛の大切さを訴えた、聖バレンタインの信念を忘れず、大切な人に愛や感謝の気持ちを伝える素晴らしい一日にしたいものですね。
投稿者 さがファン : 13:29 | コメント (1) | トラックバック
米&麦どころは、酒の聖地。
“さがのおさけ”
2006年01月31日
美しい水があるところに、旨い酒あり―。2月から3月にかけては、酒蔵が蔵開きを行い、いよいよ新酒がお目見えします。
近年、焼酎ブームで沸く九州ですが、佐賀では焼酎はもちろん、日本でも有数の“日本酒どころ”。農業大国・佐賀の代表的な作物が米であり、麦。天山、脊振、多良岳山系の水・佐賀平野の米・麦とくれば、お酒文化が発達しないわけがありませんよね!今回は、“さがのおさけ”の魅力をご紹介します。
鎌倉時代は幕府の“献上物”だった高級酒
酒蔵というとどういうイメージが浮かびますか? 厳しい世界…、敷居が高い…、女性立ち入り禁止…!?現在では、冬の風物詩である酒蔵開きも、振る舞い酒や利き酒、抽選会などのイベントなどが、にぎやかに開催されるようになりました。また、普段から蔵を開放し、見学ができるようになっている酒蔵も多々あり、私たちにとっても親しみ深い存在になっています。佐賀の酒蔵開きは2月から3月にかけて一斉に行われ、今年度の新酒が初顔見せ。各地からファンが訪れます。
現在、佐賀の酒蔵は鳥栖地区2、佐賀地区10、唐津地区2、伊万里地区7、杵藤地区13の34蔵。全国でも有数の酒どころです。さかのぼること、鎌倉時代には「肥前酒」として幕府の献上物とされていたほどの高級酒。幕末から明治時代にかけては、佐賀・鍋島藩10代藩主、名君と誉れ高い鍋島直正が財政改革のため、倹約をうたう一方で産業開発を推し進めました。その開発の一つが“酒作りの奨励”。 その当時は、酒蔵が700以上はあり、米を酒に加工することで、収益をあげ、財政難を克服したといわれています。
お酒の命、といえば“水”。佐賀は全国でも有数の米の産地でもありますが、最高で700あった酒蔵が、100数十年ほどで34蔵ほどに残っても、変わらない味を提供し続け得ることができる原因は、やはり水にあります。上記の地区別に見てもわかるように、基本になる水の出どころは天山山系、脊振山系、多良岳山系の3つの伏流水にわかれています。
佐賀のお酒は“濃醇甘口”が特徴。脊振山系、多良岳山系が軟水であることから、口当たりが柔らかく、優しく甘い飲み心地。キレのある辛口が多い東北などのお酒とは対照的です。お酒の甘辛(日本酒度)は、+と-で表されますが、佐賀のお酒は-のものが多く、-度が高いほど、水と比べての糖分の比重が高く、甘口となります。佐賀の日本酒に女性ファンが多いのもその理由があるかもしれませんね。
また、日本酒を飲むと次の日に残る、という話をよく聞きますが、それはお酒自体が純粋でアルコール度数が高いため。別に同じ量の水をチェイサーとして置き、一緒に飲めば、日本酒本来の味も損なうことなく、悪酔いすることもなく楽しむことができますよ。
※ 佐賀酒造蔵開きの情報はこちらまで
「佐賀酒情報館」
焼酎の命・二条大麦の生産は日本一
九州といえば焼酎。ここ数年では、全国からわざわざ焼酎ファンが訪れるほどになりましたが、その原料である“麦”は外国産のものがほとんどといわれています。さがファンでもおなじみの、「宗政酒造」の焼酎『のんのこ』の原料は佐賀産二条大麦100%。メイン商品である『のんのこ・黒』はお酒の鑑評会である福岡国税局主催本格焼酎の部にて、3年連続受賞しました。『のんのこ』は、消費者の佐賀県産品に対する評価と認知度を向上させるために平成16年(2004年)11月に制定された「原産地呼称制度」の対象商品にも認定。まさに、地元・佐賀の顔が見えるお酒ですね。
麦は四麦といって、小麦・六条大麦・二条大麦・はだか麦の主に4種類にわかれていますが、焼酎製造に適した「二条大麦」は、作付面積、収穫量、産出額ともに佐賀は日本一!「ニシノチカラ」「ニシノホシ」などの品種があります。晩秋11月下旬ごろに種まきを行い、今時分の2月ごろ、麦踏みと土入れを繰り返し、成長を促します。そして5月の下旬ごろに収穫となります。まるで米の生産時期とは逆ですね。
佐賀の日本酒の原料となる“米”も主に3種類にわかれており、高級なもので「山田錦」、そして「西海134」、「佐賀の華」。こちらは“酒造好適米”と呼ばれており、お酒専門のお米。「レイホウ」など、普通米を使ったお酒もあります。
素材がすべて、というお酒。“美味しい料理は器を選ぶ”といいますが、もちろん、ここまで旨いお酒文化の発展と並行して、古い酒器文化の歴史を持つのも佐賀という土地がらならでは、です。有田焼をはじめ、唐津焼、伊万里焼、白石焼…。
深~い世界、“さがのおさけ”。お土産、酒蔵めぐり、器見学…気になるところから、触れてみてはいかがでしょうか? いつのまにか、ハマってしまっているかも…。

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